『時が滲む朝』を読んで考える短期的利益と長期的利益

2008年に芥川賞を受賞した『時が滲む朝』著・楊 逸(ヤン・イー)を読みました。

僕はあまり小説を読まないので、文の表現の上手さとか描写がうんぬんとかは全くわからないのですが、「中国 民主化というキーワードであったため、僕にとっては非常に有意義な作品でした。

1988年の中国で、額からしたたる汗を拭く時間すら惜しんで受験勉強をし、10人に一人しか大学に入れない時代に、主人公が難関の秦漢大学に合格するところから始まります。大学一年生から民主化のためのデモに関わり、天安門事件のその後の生活までを描いた作品です。

時が滲む朝 (文春文庫)

時が滲む朝 (文春文庫)

中でも、印象に残ったのは主人公の働く工場主が言ったこの一言。
民主化って、今日言って明日なるっって話じゃないだろう。中国もいずれだよ、このまま経済発展すればな。

民主化運動を起こすことって短期的に見れば損。
学生は全く勉強出来ないし逮捕され退学、下手すれば死ぬ可能性もある。
学生ではなく運動に関わっていなくてもデモが起これば商売活動にも被害を受ける。
でも、家族の大きな期待を背負い大学に通っているという気持ちや、大きな愛国心から長期的な繁栄をもたらすはずであろう民主化を目指して学生が命をかけてデモを行う。
デモが失敗に終わり、自分が生きている間に民主化が行われなければ自分は利益を享受することが出来ない。

どちらにせよ、民主化運動を行う者は自分を犠牲にしなければならない
もちろん自分のためもあるだろうけど、どちらかというと自分以外の人や未来の世代の為を思って行う行為なのだろうなと感じた。

長期的な利益を望む場合には、短期的な利益を少し犠牲にしなければならないことが必要なケースが多い。
例えば、イギリスの産業革命も、国が国民の消費を一時的に抑えて貯蓄をさせ、それを存分に投資に使えたから起こすことが出来た。


日本が、中国含め新興国の企業にモノを売る際に弱みであるのが価格の高さだ。
日本企業の価格の高さは品質を保証しており、付加価値が相当額付いているからですが、新興国の企業は価格が高いことを極端に嫌うらしい。
それは、企業の取引相手である担当者が短期的な利益しか考えない場合が多いからである。
その担当者は、いつまでその企業にいるかわからない、そのポストにいるかわからない。
そのため、自分がどれだけ安く買えたかの自分自身の業績が最も重要であり、その何年か後にその買った製品が壊れようが関係ない。
企業としても一時的な利益の増加が見込め、短期的には成長する。
しかし、このような短期的利益の追求によって成長している企業が、企業としていつまで持続可能なのか、疑問である。