東北関東大震災が起きて(1)

東日本大震災が3月11日(金)に起きて、一週間が経った。

この経験を忘れないためにも仙台で経験したことを書いておこうと思う。


地震が起きた午後2時46分頃、地震が発生した時、僕はオフィスビルの8階にいた。
おっ、ちょっと強いなと思っているとだんだん揺れが激しくなり、机の下に避難した。
揺れはなかなか引かず、机の中でツイッターを見ていると、宮城県北部で震度7という数字が飛び込んできて、とんでもない地震だということがわかった。

それから、ビルを出ると歩行者が路上にごった返しており、その時にも強い余震が起きていた。


地震直後の仙台中心街の歩道[筆者撮影]

ツイッターを見ると、仙台に10mの津波が来る!みたいな情報があったので、とりあえず高台に行こうと、一度家に帰り、PCやお菓子などを持って大学に向かおうと考えた。
大学に行こうと外へ出ると、そこは大雪。
津波の情報は満足に得られないし、まだ強い余震が続いているため家に居るのも怖い。
でも大雪で動く気にならない。
そのまま家の前でしばらく立ち尽くしていた。

30分ほど経つと、幸い雪が止み、大学に自転車を走らせた。

信号は止まっており、道路は大渋滞。


なんとか大学までたどり着くと人影はまばら。
強い余震で生協の建物がガッシャガッシャンと揺れて、今にもガラスが割れそうだった。

非常に寒かったため、足の指の感覚がなくなっていた。



みんなどこにいるのだろうと思ったが、なかなか情報を得られなかった。

そのまま当てもなく、歩いていると暗闇の中、行列が出来たコンビニを発見した。

空気に流され30分ほど並び、カップラーメンやお菓子を買った。


それからツイッターで、ある小学校が避難所になっていることを知り、そこへ向かった。


避難した小学校は既に人が沢山いた。
電気がないので真っ暗で水も出なかった。

知り合いや家族で避難していた人が多かったが、僕は一人だった。

他にも避難所がどこかわからない人がいるはずだと思ったので、PCを開き、ツイッターで出来る限りの情報を流していた。

外では寒くて携帯は打ちにくいし、非常時に的確な情報を検索するのも難しい。
携帯のメール、電話も使えない。
そのため更新ボタンを押すだけで、情報が入ってくるツイッターは非常にありがたかった。


なんだかツイッターの宣伝みたいになってしまったが、(2)に続く。