東北関東大震災が起きて(2)

震災から3日目になり、部屋に戻ってみると電力が復旧していた。

電子レンジが使えるようになったため、お湯を温めてカップラーメンが食べれるようになった。

炊飯器を持っていれば、炊飯が出来るようになっていたが、僕は鍋で炊く派だったため、持っていなかったことがなかなか痛手だった。

また、冷蔵庫はずっと止まっていたが、寒かったために冷凍物はかろうじて凍っておりそれらも食べることが出来て、食がある程度豊かになった。
PCや携帯電話も自由に使えるようになり、電力のありがたみを実感した。


僕の家は、ほとんどの人は水道が止まっていたが、僕の家は何故か水道が止まらなかったため、この時点で水、電力が使えるようになったため、あとはガスだった。
ガスは被害が大きかったようで復旧には一ヵ月かかるらしい。


そして、この日から仙台中心街のお店が少しづつだが開き始めた。


震災から6日目は、津波で被害がひどかった若林区の避難所でお手伝いに行った。

具体的には、物資運び、毛布配り、炊き出しの手伝いなどを行った。

時間にして四時間ほどだったと思うが、果たして自分は必要だったのかという疑問が浮かんだ。

アルバイト初日のような無力感に似ていた。

こういった場合のボランティアはある程度、同じ場所での経験が必要であるため、最低でも3日以上行くことが出来る人だけ行ったほうが良いだろうと感じた。


震災から7日目、僕は仙台を離れた。


最後に、震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災した方々に心からお見舞い申し上げます。