Philosophyを学ぶこと

最近は、「勉強:6、課外活動:2遊び:2」くらいの生活比率が取れていて、非常に充実しています。


その中でも先月はベーシック・インカム(以下、BI)に関する論文を書く機会を頂き、その中で哲学を学ぶことの効用について気が付くことが出来たことが良かったです。

BIというのは、働いている人にも働いていない人にも関係なく全ての国民に一律の最低限生活出来る給付を行うという大胆な構想のことです。


今まで、本格的に導入された例はなく、2008〜2009年の間、ナミビアという国で導入実験が行われた程度です。


BIに関しては、元々少し興味は持っていたのですが、論文を書くことで多くの文献に触れ、その中身は経済学よりも哲学の要素が多く含まれていることが印象的でした。


それまで、哲学を学ぶことはそこそこに面白いとは思っていましたが、いまいちその効用がわかっていませんでした。


で、哲学哲学書いてる訳ですが、そもそも哲学って何でしょうか。
辞書で調べてもよくわかりません。正直、ニュアンスで使ってます。


僕の中で、哲学っていうのは、物事の根底を考えることだと思っています。
「そもそも〜って何?」みたいな問いかけのような。


例えば、BIの哲学的要素では「そもそも”労働”って何?」「そもそも”自由”って何?」
のようなものが問いかけとなって頻出します。


経済学の中の”労働”は一般的に貨幣取引が発生した場合を指すことが多く、そのためGDPが重要な指標として用いられています。


しかし、フェミニストの中では、「主婦の家庭内労働に賃金が出ないのはおかしい」でという見方があったり、ラディカルな思想家であれば「生きているだけで労働だ」っていう見方だってあります。


このように”労働”の範囲を拡張するほど、BI給付への根拠は強くなります。


また、人々にとって最適な”自由”も考えなければなりません。
市場での自由を拡大し、競争しやすくするのか。
それとも福祉社会に近づけることで”実質的な自由”(市場からの退出を選択出来る自由)を選ぶのか。


近代経済学及び国家は基本的に完全雇用を目指していますが、働き手に対する需要が慢性的に不足している世の中では、完全雇用はそもそも不可能であり、”働かない自由”を考えることは意義があることのように思えます。


そういった思考は今までにしたことがなく、当たり前のように”雇用を増やすにはどうすれば良いのか”ということを考えていた僕にとって、衝撃でした。

このように物事の根底を考えることで、普段使わない脳の部分が使われ、脳が拡張されたような気分を味わいました。

思い返してみれば、経済学と哲学は非常に密接な関係にあってアダム・スミスも経済学者・哲学者ですし、カール・マルクス、J.S.ミルも同様です。

BIは自分なりに非常に面白かったテーマだったので、これから哲学的なことも勉強していこうと思います。

ということでまずは、最近出たこれを買いました。

自由論 (日経BPクラシックス)

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時間があれば、レビューします。